最高裁判所第二小法廷 昭和48年(オ)142号 判決 1974年3月22日
上告人
安威川ゴルフ株式会社
右代表者
島津禮次
右訴訟代理人
阿部甚吉
外四名
被上告人
谷口勇
主文
原判決を破棄し、本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人阿部甚吉、同滝井繁男、同木ノ宮圭造、同阿部泰章、同仲田隆明の上告理由第一について。
商法は、商人に関する取引上重要な一定の事項を登記事項と定め、かつ、商法一二条において、商人は、右登記事項については、登記及び公告をしないかぎりこれを善意の第三者に対抗することができないとするとともに、反面、登記及び公告をしたときは善意の第三者にもこれを対抗することができ、第三者は同条所定の「正当ノ事由」のない限りこれを否定することができない旨定めている(もつとも昭和二四年法律一三七号「法務局及び地方法務局の設置に伴う関係法律の整備に関する法律」附則一〇項により、「商法一二条の規定の適用については、登記の時に登記及び公告があつたものとみなす。」こととされている。)。商法が右のように定めているのは、商人の取引活動が、一般私人の場合に比し、大量的、反復的に行われ、一方これに利害関係をもつ第三者も不特定多数の広い範囲の者に及ぶことから、商人と第三者の利害の調整を図るために、登記事項を定め、一般私法である民法とは別に、特に登記に右のような効力を賦与することを必要とし、又相当とするからに外ならない。
ところで、株式会社の代表取締役の退任及び代表権喪失は、商法一八八条及び一五条によつて登記事項とされているのであるから、前記法の趣旨に鑑みると、これについてはもつぱら商法一二条のみが適用され、右の登記後は同条所定の「正当ノ事由」がないかぎり、善意の第三者にも対抗することができるのであつて、別に民法一一二条を適用ないし類推適用する余地はないものと解すべきである。
これを本件についてみるに、原審の適法に確定したところによると、本件約束手形は、上告人会社代表取締役笹谷新吾が取締役を退任して代表権を喪失し、その登記がなされた後に、同人により会社の代表者名義をもつて水村組こと佃国丸に宛てて振出され、更に佃から株式会社サカエ商店を経て被上告人に裏書譲渡されたというのであるから、被上告人は、佃において、笹谷より右手形の振出交付を受けた際、右代表権の喪失につき善意であり、かつ、商法一二条所定の「正当ノ事由」があつたことを主張することによつてのみ上告人会社に右手形金を請求することができるにとどまり、佃の善意無過失を理由に民法一一二条を適用ないし類推適用して上告人会社の表見代理責任を追及することは許されないといわなければならない。
しかるに原審は、右「正当ノ事由」を顧慮することなく、佃が、本件約束手形の振出交付を受けた際、笹谷の代表権喪失につき善意無過失であつたと認め、民法一一二条により右手形に関する上告人会社の表見代理責任を認めたのであり、右判断は、前述の法理に違背し、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。よつて、その余の上告理由につき判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、佃国丸において本件約束手形の振出交付を受けた折り、右「正当ノ事由」があつたか否かについて、更に原審に審理を尽させるを相当とする。
よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(岡原昌男 小川信雄 大塚喜一郎 吉田豊)
上告代理人阿部甚吉、同滝井繁男、同木ノ宮圭造、同阿部泰章、同仲田隆明の上告理由
第一、原審の判決には理由齟齬の違法がある。
一、原判決は、本件手形受取人である水村組が商法上、手形の振出署名者である笹谷新吾の代表権喪失の登記を対抗される第三者であるとしながら、なお善意の第三者であるとして民法第一一二条を適用し、代理権消滅後の表見代理の成立を認めているが、そもそもそこには論理の転倒があり判決の理由に齟齬がある。
すなわち、原判決の理由二に於て、水村組が「商法上代表権喪失の登記を対抗される善意の第三者である」と述べているのは、水村組が善意ではあるけれども上告人が同人に対して代表権喪失の登記を対抗することができる趣旨と解する外はなく、とりも直さず商法第一二条に基づき代表権喪失について水村組の悪意が擬制されることであるのに、「かつ民法第一一二条の善意の第三者にもあたる」として直ちに同条を適用し、上告人の責任を認めているのは、論理の転倒であり理由に齟齬がある。
二、もともと商法第一二条は、民法第一一二条の特則といいうるのであつて、代理権の消滅を主張する側で、代理権消滅の事由の外特に相手方の悪意もしくは過失を主張立証しないでもこれについて登記公告がなされたことを立証すればよいことを定めているのである。(支配人について司法研修所・民事訴訟における要件事実について、昭和四〇年五月刊、二三頁参照、なお代表取締役につき民法第一一二条を類推適用するとすれば同じことがいえるのは当然である。)
従つて相手方が民法第一一二条の善意の第三者にあたる場合に、初めてこれに対して商法第一二条による主張が出てくるのであり、商法第一二条は登記された事項を善意の第三者に対抗することを認めるものであり、水村組が善意であるからこそ、上告人は本案をもつて、笹谷の代表取締役退任登記(公告を要しないことはいうまでもなかろう。)の存在に基づく水村組の(擬制された)悪意を対抗するのである。
このことを原判決は忘れている。
同条自体例外的に正当の事由で善意であつたものを保護しているけれども、ここに正当の事由とは、商業登記簿の閲覧または謄本、抄本もしくは証明書の交付を妨げるような客観的事由だけが正当の事由に該当するのであつて、かかる事由がないかぎり、相手方は悪意を擬制される。
このことを認めず、相手方の悪意もしくは過失の立証が極めて困難なことを無視するなら、商業登記という公示制度の存在意義はない。
三、なお株式会社の代表取締役に民法第一一二条を適用すべきものであるとすれば、代表取締役の権限が普通の代理人の場合と異なり、包括的でしかも取引の相手方が無限定的である点を注意する必要があろう。
このような権限を有する代表取締役について、民法第一一二条の適用を認め、かつ商法第一二条による悪意の擬制を対抗できないものとすれば、会社は退任代表取締役が代表取締役を僣称して為す行為の責任を免かれることができず、不測の損害を蒙ることが避けられない。
普通の代理人であればある程度相手方たるべき者が明らかであり、本人としては代理権消滅の通知を発することが可能であろうが、代表取締役の場合は、その様な方法も、殊にその必要あるときに極めて困難なのである。例えば退任登記ある代表取締役が勝手に手形を振出して割引する場合を考えるだけで事情は明らかで、その結果の不当なるは言を俟たない。
四、なお亦、専務取締役退任後に専務取締役としてなした行為について、会社の責任を認めたケース(昭和三一年五月一五日福岡高裁判決、判例時報八九号二二頁)は民法第一一二条の類推適用をしているが、同時に商法第二六二条を適用しており、事実関係をみれば会社自身が退任した専務取締役に実際上専務取締役たる権限を付与しているのであり、本件の如く退任代表取締役が勝手に代表取締役の権限を行使し、上告人会社に帰責事由のない場合とは異なるものであつて、本件では到底表見責任を問われるいわれはない。<以下略>